70年のあゆみ

1948

山岸福次郎が「三洋商会」を創業

昭和23年(1948)10月、山岸福次郎は現在の三洋工業の前身であるセメント販売を業とする個人企業「三洋商会」を東京都港区に設立しました。
小さな事務所の壁には、「鶏頭となるも牛尾となるなかれ」と大書した紙が貼られていました。本来は「鶏口となるも牛後となるなかれ」ですが、社員に分かりやすいよう口を頭、後を尾で表したものです。店の者は出入りする度にこの書を眺め、心に刻み付けました。これは山岸福次郎の生涯のモットーで、後に金属建材を業とするようになった時「こんな小さな釘1本を扱っても、『日本一』だといわれるような会社になろう」と常にいい続けていた福次郎らしい言葉でした。

1950

新製品が次々に登場

昭和25年(1950)のスレート釘(特殊釘)に始まり、昭和26年にはフックボルト、瓦用釘を新たに発売しました。これらの製品は、建設省(現:国土交通省)、国鉄(現:JR)などに採用され、業界内でのシェアを高めました。昭和27年には煙突付属ベンチレーターなどを発売しましたが、そのころから、戦前にはなかった新素材を使う、いわゆる新建材が次々に登場するようになり、昭和28年には新建材用の特殊釘を発売しました。また換気扇の人気製品で、後に「換気扇の三洋」と呼ばれるようになるきっかけをつくった「ドラゴンベンチレーター」を新発売したのも昭和28年でした。昭和29年には「コーキング」「ジョイナー」を新発売し、昭和32年には「スリーコーキング」(一般用、冬用の建築用油性コーキング材、昭和42年には日本工業規格(JIS)を取得)を登場させました。昭和30年ころは、建築で乾式工法の普及が進んだ時期でありましたが、釘に鮮やかな着色を施した「カラーネール」や、建材を接合する金物としての「金属ジョイナー」は、いずれもユーザーの好評を博し、当社のヒット製品となりました。

1963

5社を合併し、三洋工業株式会社
が誕生

昭和33年(1958)に三洋商会は製造部門を担当する別会社、三洋工業(株)を設立しました。その後(株)三洋商会(広島)、三洋鍍金(株)、三洋工業(株)(大阪)を相次いで設立し、(株)三洋商会(東京)を中核とした5社時代へと発展を遂げてきましたが、それぞれが蓄えてきた力を一つに結集する時がきました。
そして昭和38年(1963)9月。三洋5社は合併統合し、社名を三洋工業株式会社としました。

1963年〜

名古屋、横浜、小倉、仙台などへ、
営業網を全国に拡大

昭和38年(1963)の大阪、北海道の営業所開設に続いて、昭和40年4月には名古屋営業所、昭和41年1月には横浜営業所、同年7月福岡営業所の下に北九州小倉出張所、昭和42年2月には仙台営業所を開設し、営業網を全国に広げていきました。
商圏が広がるにつれて次第に物流面が重要性を増してきたため、昭和42年4月には本社発送センターを設置しました。多店舗主義と即納主義は、営業所の増設と発送センターの設置によって、ますます強力な当社営業陣の武器となっていきました。

1970

東京・亀戸に新本社ビルを建設
移転

生産力(工場)、販売力(営業所)の強化が進み、全社の中核である本社機能の拡充強化を図るため、昭和45年(1970)3月、東京・亀戸に本社ビルを建設して移転しました。

1970

技術研究所を開設、現場と協力し
新製品を開発

本社新社屋を建設移転すると同時に技術研究所を開設しました。これを中核として「技術の三洋」の路線を追求していきました。技術研究所は製造販売会社である三洋にふさわしく、市場のニーズに基づいた具体的な研究テーマを取り上げた。研究所の任務は、営業部門などから現場の施工上の意見を聞きながら、高品質で優秀な性能を持つ新製品を開発することでした。

1972
1974

売上「100億円企業」に成長

昭和47年~49年(1972.1974)にかけて当社の業績は大幅に伸長し、昭和49年度は「100億円企業」の仲間入りを果たした記念すべき年となりました。
社員数も800人を超え、取扱製品もねじ類、特殊釘、軽量天井材、間仕切材、換気製品、金属ジョイナーなど、大きく増えた時期でもありました。

1976

東証一部へ指定替え、名実共に
一流企業の一員となる 

昭和46年(1971)2月の東証二部上場から5年。
昭和51年(1976)6月1日付で、当社の株式は東証二部から一部へ指定替えとなりました。
「誠意をもって社会的責任をはたさなければならない」
一部上場企業にふさわしい近代的で魅力のある企業づくりを目指して行くことを宣言しました。

1980年〜

「部品から部材へ」の時代を迎え、
差別化製品開発に全力

創立以来、「金属建材のデパート」ともいわれて社会の変化、顧客ニーズの変化に応じた多様な品揃えを心がけてきましたが、日本経済が高度成長し、建築技法も高度に進歩するにつれて建材の製品構成は大きく変わっていきました。
それは建材の世界における「世代交代」ともいえるもので、大きな流れは「部品から部材へ、部材からシステム材へ」「小型・単品型資材(ねじ、特殊釘類等)から大型・複合型構造材(金属下地材を土台にした天井システム等)へ」という変化でした。
このような流れは、当社にとって「創業製品から新開発製品へ」の変化を意味していました。また製品構成の変化は当然販売方法の変化を生み、「材料販売から材工共販売へ」の方向に向かって大きく動き出す契機となりました。
こうした状況の中では、顧客ニーズの変化を正確に把握すること、より付加価値の高い製販一体の販売手段を追求すること、そして何よりも他と差別化された高度な製品を開発提供できることが製造業に求められます。創業製品をあくまで大切にしながらも新製品の開発に全力を注ぎ、市場に一層マッチした製品構成を求めて、不断の努力を重ねていきました。

2014

三洋工業の環境ビジネスの象徴
「環境試験棟」が完成

平成26年(2014)10月、技術研究所の敷地内に、環境ビジネスの構築を目指し、新製品開発を行う「環境試験棟」を建設しました。中期3ヵ年経営計画「アクションプラン2013」の具体策として環境・省エネ、耐震・震災に関連する製品を成長戦略商品と位置づけ、環境試験棟新設は当プラン達成に向けた取り組みの一環でもありました。
「三洋工業製品をお客様にアピールできる環境試験棟に」というコンセプトのもと環境製品開発に特化した大型試験設備の導入はもとより、自社製品をふんだんに採用した設計とし、まさに三洋工業の環境ビジネス製品が揃った試験棟となりました。

2018

創立70周年 -100年企業への挑戦-

当社グループは、最終年度となる中期3ヵ年経営計画「SANYO VISION 70」の達成に向け、また中核を成す三洋工業株式会社の創立70周年の節目を迎えるに当たり、グループ全社の総力を結集し、収益性の改革を通じてさらなる企業価値の向上を目指します。

ものづくりへの想い

要望に応えられるものを、
工場一丸となってつくる。
福岡工場 管理課 課長

高祖 貴博

三洋工業は金属建材を扱うメーカーであり、工場はものづくり部門になります。ただ、ものをつくれば終わりというわけにはいきません。いかにお客さまの要望に答えることができるものをつくれるか、それが工場の使命です。それには不良品や、クレームゼロを目指して徹底した品質管理や納期に間に合わせるように効率良く生産を行う。そして、材料調達・管理、歩留管理、生産性の向上、改善活動などを行い常にコストダウンを意識する。ものづくりをする上で行うことは多岐にわたり、生産課、技術課、管理課の一致団結が必要です。工場の使命を果たすことがお客さまに満足していただける製品=ものづくりにつながっていくと考えます。

さまざまな情報を掛け合わせ、
変化を読み解き、柔軟に対応する。
生産課・技術課 課長

印出 真一

生産工場の「ものづくり」とは、決して単純作業の繰り返しで行えることではないと日々実感しています。
製品を作る流れには、複数の流れが存在します。定尺在庫品・受注対応品と同形状でも、長さが異なると生産速度能力が変わり、数量が変われば、梱包する回数や時間も異なります。材料の大きさや板厚の変化などは、製品形状調整や生産時間にも左右され、「モノづくりとは…」と問われたら「計画的に遂行することが難しく、常に矛盾が生じる工程」と応えます。

突発的な注文に対してもベストな納期回答をするため、状況を瞬時に判断しなくてはなりません。
判断材料は、現在の注文数・現在の製品在庫数・材料在庫数・設備の稼働時間想定などを成形ラインごと、製品種類ごとに把握して回答をしますが、最近ではトラックの待機時間も含まなければなりません。
逆に捉えるとトラックの配車計画先行型で工場生産計画が成立できる仕組みに変わらなくてはならない時代になったとも感じます。
「製品に愛情を」「お客さまにより早く、良い物を提供しよう」 掛け声だけでは、生産現場の力は向上しないのです。
最短で生産し多くの物件で使用していただくことが、モノづくりの最大の喜びだと思います。

設備の改造などで無人化、省人化が進む一方で、工場でのモノづくりをはじめ、多くの職種で人不足が深刻になっています。
「改善=生産現場の作業改善」だけでは追いつかない時代に突入しています。
現行の注文(お客さま⇒営業業務⇒工場業務⇒営業業務⇒お客さま)は人から人に返す仕組み。
これからは、一気通貫システム(お客さま問い合わせシステム⇒システムでの生産日・完了時間⇒トラック配車システム⇒お届け時間システム)と人を通さず、システムでの管理に挑戦し実現させ、次世代に残さなくてはならないのです。
工場の主役は、いつの時代も生産現場の方であり、我々事務方はモノづくりを描く立場の影の存在です。
影の存在である事務方が、主役である生産現場を輝かせる存在に徹することができれば、「最高のモノづくり」に繋がるのだと思います。

意識されない製品だから、
誰よりも安全・安心を意識する。
技術研究所 換気環境・アルミ製品チーム

柳原 耕平

当社が取り扱う製品は建設業の中でも多岐にわたっています。部材を固定する1本のネジ・釘をはじめ、床・壁・天井の下地材、手摺やルーバー、笠木などの外装材や工場や倉庫用の換気製品、太陽光架台や太陽熱集熱システムなどの環境商品に至るまで、幅広く扱っています。
しかしながら、一部の外装材などを除く多くの当社製品は、建物を利用する人たちに意識されることは、大変に稀(少ない)なのではないかと思います。だからこそ、日々の製品開発業務で一番に大切なテーマである「安心・安全な製品」を心がけながら取り組んでいます。当たり前のことのようですが、建物を使う人たちが日頃、建材を意識しない、或いは意識できないからこそ、製品を開発する側が常に意識し絶対に気を緩めてはいけない部分だと考えています。

こうした考えは技術研究所のみならず、会社全体で脈々と受け継がれてきたものであり、長年にわたってお客さまから信頼され、必要とされる製品を市場に提供し続けて来られたからこそ、今日の三洋工業があるのだと思います。
現代は大災害時代といわれています。これまでにない、想定外の災害が発生し、安心・安全の基準や考え方もさらに高度化していくことは予想に反し得ないと考えられます。そうした中、当社の安心・安全基準も日々高度化させ、時代や市場のニーズに合った製品を開発することで、これからも使う人に意識していただかなくとも、安心かつ快適に過ごせる空間の一翼を担っていければと考えます。

  • イアルSZシーリング

    現場名:沖縄空手会館

  • スリーベース

    現場名:由利本荘市ナイスアリーナ

  • ウルトラエース

    現場名:日本ロバロ

  • エア・フロア

    現場名:高浜町新庁舎

  • スカイマーカー人工木

    現場名:上野動物園
    (株)景デザイン研究所

  • サンパンション

    現場名:アルビオガーデン北24条(札幌)

  • フェノバSZ耐震断熱天井

    現場名:福岡高等学校

  • ベンチレーター

    現場名:長崎西清掃工場

  • ホームベース

    現場名:赤坂2丁目マンション

  • エア・フロア

    現場名:豊橋技術科学大学

今後のビジョン

未来に向けて挑戦し、
「100年企業」へと飛躍する。
代表取締役社長

菊地 政義

当社は、昭和23年(1948)10月25日、故山岸福次郎氏が当社の前身である「三洋商会」を個人企業として創業し、歴代社長の故山岸竹雄氏、山岸文男(現:取締役相談役)、菊地政義(現:代表取締役社長)とつないで本年創立70周年を迎えることができました。これもひとえに皆様の温かいご支援の賜物と、改めて心より感謝申し上げる次第です。
創業時、ゼロからスタートした「三洋商会」は、セメント販売業からスレート釘で金属建材への進出のチャンスを掴み、その後、換気製品、鋼製下地材、アルミ建材へと業容を拡げ、快適空間を創造する総合金属建材メーカーへと成長を遂げてまいりました。
わたしたちは、この創立70周年を「未来に向けての一里塚」と位置付け、未来への決意を新たにし、全社一丸となってより大きな目標に向かって邁進していく所存です。

当社はこれからも「製造・販売・技術開発・購買」の四位一体のヨコ軸をより強固にし、“いつも現場は生きている”という認識のもと、お客様の声をしっかりと受け止め、スピーディに問題解決が図れるよう、「三現主義」の基本の見直しと、その体制づくりに尚一層、改善と努力を傾注して参ります。
お客様が必要とする生の声をかたちにし、先輩達が残した確固たる挑戦意識を受け継ぎ、新たな価値創造を求めて事業の多軸化を推進し、様々な市場ニーズに適合する製品の発掘やより良いサービスの提供ができるシステムを構築していきたいと考えております。
市場ニーズへの対応は、新たな需要創造として、当社が創業以来大事にしてきた「お客様第一の経営」に繋がり、お客様とのパイプを更に太くすることができると思っております。
この70周年を機に、お客様との密接な情報交換活動を通じて、新商品・新工法・既存製品の改良改善、新システムの事業構造・ネットワーク活用の確立、新規事業領域への進出などを視野に入れ、積極的な事業展開を図り、成長・発展できるよう努力して参ります。
当社が目指す持続可能な成長企業への「1stステージ」が100年企業を目指すロードマップの絵姿に繋がるよう、今後も進化する仕組みを取入れ、挑戦し続けることが重要となります。今後も「お客様第一の経営」に徹し、お客様から愛され、信頼される企業づくりを実践し、70周年を一通過点に「100年企業」へと飛躍して参ります。

周年ムービー MOVIE

三洋工業株式会社 東京都江東区亀戸六丁目20番7号
TEL.03-3685-3452(本社営業統括部 営業課)

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